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4月, 2017の投稿を表示しています

初後輩

この間、新入生が内のサークルに入ってくれたのだが、大学2年生にして人生で初めて後輩ができたのが何だか不思議な気分だ。自分に対して敬語が使われると、まだ驚きを隠せずにニヤと笑みを浮かべてしまう。 自分は中学と高校を丸々アメリカのケンタッキー州で過ごし、現地の学校に通学していたのだが、あっちの文化には上下関係などほぼ存在していない。そもそも敬語が英語の中に存在してない。中学では競泳、高校ではクロスカントリー (路面を走らないマラソン)に励み、もちろん下級生も山の数ほど在籍していた。クロスカントリーはそこそこ速かったから下級生からは尊敬されていたと思うが、決して敬われることは無かった。 4歳年下のチームメイトに「お前を次のレース完封なきまでにぶっ飛ばす」とか、2歳年下が喧嘩をふっかけてくるなど日本では到底あり得ない話である。しかし、この光景は西洋社会では決して珍しい事ではない。 俺は上下関係がない文化を否定してる訳ではない。逆に上下関係が無いおかげで親密な関係によりなりやすいと自分は考えている。今のサークルに院生の先輩が何人か在籍してるが、馴染めるまでにかなりの時間を要した。年が離れているのもあるが、大学の上下関係など院生が神で1年生が下部の様な関係だ。しかし、アメリカではコーチとすら仲のいい関係を比較的に築きやすいと言える。だが日本の年上を敬う文化も決して嫌いではない。何故なら、敬うことは相手に礼を尽くす事であり、非常に礼儀正しい行為であると思う。礼儀があるからこそ日本文化は世界一美しい文化とも言われている。

何を着るべきか映画に学ぶ

高校の時はファッションに困らなかった。ただただ制服を着ていけばよかったのである。しかし大学に入ると着るものについて考えなくてはならなくなった。 ことに、日本の洋服の種類は豊富だ。女性服に限らず男性服までも膨大な種類の服がある。アメリカ、ケンタッキー州においては服、ことさら男性服に於いては極めてシンプルであったから、余り選択肢がなかった。しかし日本に来てみると様々の服を着た人々が街を闊歩している。ファッションウェブサイトをみると、様々のものを重ね着して何だか変な恰好をした男がお洒落な人として紹介されている。大学でもそんな人が歩いている。そんな日本的ファッションをして周りと合わせるべきかと思ったが、どうも自分に合わない。 では、何を指針として着るものを選べば良いのか。 その問題に対して私が導き出した答えは映画である。 最近では1950年代のアメリカの映画をみて、そこに出てくる自分と同年齢くらいの若者が着ているような服を私は着ている。例えばジェームズディーンが"Rebel Without a Cause"で着ているようなジーンズに白Tシャツ、そしてジャケットのような非常にシンプルな恰好をしている。勿論全てをそのままコピーするのではなくて現代版に改修している。例えば、現在のジーンズは当時のものよりも股下が浅くなっているし、当時はTシャツの裾はジーンズにしまっていたが今では出しておくのが良い。 このようにして1950年代ファッションの現代版改修復刻ファッションをするのが最近の私のファッションである。映画から学ぶという手法を是非参考にして欲しい。

ザッツトーク1

ゴールデンウイークだ。今頃ほかの大学のフレッシュマンたちはウェイウェイしているのだろう。だが私は課題でガッチガチにされている。課題だけならまだしも、プレゼンテーションもあるのだ。しかも三つ。 1:00前に寝れたのは本当に久しぶりだ。 決してダラダラしているわけではない。普段はふざけているキャラだが、本当はかなり真面目な人間なのだ。 授業が始まって約三週間が経ったが、このタイミングで休みがきて本当によかった。あと少しでも長かったら何が起こっていたことやら。 さて、このゴールデンウィーク、なにをしよう。 なんか 「自然!!」 と思えるような何かに出会いたい。滝とか川とか、水がかかわっている自然に浸りたい。 あとはプログラミングにもう少し時間を投資したい。 もうお気づきの方もいると思うが、私の名前の import はpython という言語でモジュールを呼ぶときに使う命令文だ。 やっと休みに入ったので、これからもばんばん もったいないトーク に投稿していこうと思う。

一人称問題(僕俺問題)

日本語には一人称が豊富である。私、僕、俺、拙者、吾輩、小生、自分、余、などなど沢山ある。とは言っても現代において使われるのはほんの一部であって、それら以外は普段の生活で使うと違和感がある。というわけで今の私に与えられた選択肢は私、僕、俺の三つである。 さて、いままでずっと私の一人称は普段の生活においては「僕」で、公の場や畏まった場所では「私」であった。 これで今まで問題なかったが、大学二年生になってふと考えてみるに、身の回りで一人称に「僕」を用いている人は少ない。ほとんどの人が「俺」を使っていて、「僕」を使っているのは如何にも学者肌な教授くらいのものだ。 「僕」はなんだか少し幼稚な響きがある。そろそろ「俺」を用いるべきかもしれない。しかし「俺」は「俺」でなんだか攻撃的かつ頭が悪そうなイメージがある。それに「俺」を使うと違和感がある。 中学の頃を思い出す。 我が家はパパママ派の家で、小さいころから両親のことはパパ、ママ、と呼んでいた。しかしこのまま母の事をママと呼んでいてはマザコンの嫌疑がかけられると考えた私と弟は共同で両親の呼称をお父さんお母さんに改めた。最初は非常に強い違和感があったが、ずっと続けていくうちにそれは消え今ではお父さんお母さんですっかり馴染んだ。 というわけで今後は従来の「私」「僕」に加えて「俺」を使い分けながら生活してみようと思う。どの一人称を用いるかでイメージがだいぶ異なるのでこれは非常に重要な問題である。なかなか面倒である。しかしそのような言語なのだから致し方ない。とは言ってもやはり難しいものである。

趣味ゴミ漁り

知る人と知る穴場を私は知っている。 それはズバリ、大学の粗大ゴミの捨場である。 理工学部の建物の裏手に存在する粗大ゴミ置き場、理系の研究室で使われている電化製品や家具などが捨てられている。しかし、捨てられているゴミなのだから壊れているのだろうと普通は思うだろう。しかし、そのほとんどが機能する電化製品なのである。最近大学の研究費不足などを耳に挟むが、それは一部の生徒数が少ない大学だけにあって、ほとんどの大学は生徒たちから巻き上げてお金を優雅に使い回しているのが現状である。研究室が捨てる電化製品は壊れたから捨てられるのではなく、ちょっと古くなった物を新品と買い替える為捨てられている。 これを知っている私とサークルのメンバーでゴミ漁りが始まった。 週5で捨場をチェックし、使えそうな物は全て部室に持って帰る事を繰り返して3ヶ月、下記の物が拾われた。 クッションソファー、電子レンジ、冷蔵庫、ポット、ティファール、スピーカー3台、パソコン3台、モニター5台 部室改造計画は今も進行中

このブログのタイトルについての考察

この度はもったいないトークにお越しいただきありがとうございます。 今回はこのブログのタイトル「もったいないトーク」の意味について考察したいと思います。 初回の記事での説明の通りこのブログはかつてDark Smile Inc.という総合エンターテイメント会社を創業した三人のクリエイターによって立ち上げられました。そのうちの一人、import muscle氏によってこのタイトルは考案されました。 さて、その意味ですがまず「トーク」という言葉は様々の意味を有しておりますがこの場合「話」という意味であると思われます。それに「もったいない」を足して、つまるところ「もったいない話」という意味になります。 では、何がもったいないのか。 我々は日々、いろいろなことを考えながら生活しております。多くの場合その考え事は誰とも共有されることなく忘れ去られてしまいます。しかし中には、そうするにはもったいないほどの価値を有するものも存在します。そんな、「誰にも話さずに忘れるにはもったいない話」を記録し、世間と共有するためのブログがこの「もったいないトーク」なのであろうと私は思います。

地球外生物

楽単だと聞いて受けた天文学入門、授業が朝の9:15分から始まることから「眠いな〜」や「授業行きたくないな〜」と普段のようにイヤイヤ学校に行き机に座った。 これがびっくり!! 授業が退屈ではなかった、逆に関心を引くものであった。理解できない理系の授業ばっかり受けていると、関心もクソもない。大学を卒業するためしょうがなく授業に出席して単位うを貰うことしか考えない。だからこそ、もっと授業を受けたいと思うような授業は少ない。 そんな授業の内容を少し紹介したい。 最近のニュースでも取り上げられた、土星の衛星エンケラドスの氷に覆われた海から水素原子の検出の偉大さを教授が語ってくれた。 まず地球にしか水が存在しないというのは世間の大きな勘違いであり、既にいくつもの惑星や衛星でその存在を確認されている。それと、水だけあっても生命は誕生しない。しかし、今回発見された水素は一種の微生物にとってエネルギー源として利用出来ることから、氷の下に存在する液体の海に生命が存在する可能性を示すそうだ。今現在、地球外生物が最も存在する可能性が高いのはこのエンケラドスだと、あのNASAでさえ公も言している。 そこで思いついたのが、宇宙人の定義が何であるかだ。そもそも人間は地球にしか存在しないのだから人を付けたこと自体間違っていると思う。どんなに人間に姿が似ていたとしても、生物学的に違う生きものである以上、それを人と定義するのが不合理である。 では、宇宙人とは地球外生物のことなのか? だとしたら、近い将来土星の衛星で確認されるかもしれない微生物は宇宙人なのか? 考えるだけで何だか興奮してきた。

出会いへの別れみち

私はまた人生の分岐点に立っている... ...「大学生になったら腹筋を割る」という男のロマンを抱いていた私はラグビーサークルに入ることにした。 さて、本題はここからだ。 先日、いつも通り練習に行き、ラグビーの基本的なルールなどを実際に身体を動かしながら学んでいると、先輩がありきたりな質問をしてきた。 「体重、何キロ?」 「92kgです。」 こう応えると人は驚愕する。私はどこからどう見ても92kgには見えないのだ。人に私の体重を当てさせると、大体70~75kgと言う。答えを伝えると「え!マジ?!見えな~い!」と言われるのが一連の流れだ。しかし、今回は違った。 「ええ!いいな~ うらやましい。」 うらやましい...だと...?体重を言ってうらやましいだなんて生まれて初めて言われた。 彼があまり驚かず、うらやましがった理由は二つある。 私がアメフトをやっていたということを知っていたから。 ラグビーにおいて質量はキーエレメントだから。 アメフトをやっていると、いやでも筋肉がつく。 筋肉は脂肪より若干重く、そして小さい。まあつまり私はアメフト現役時代に築き上げたガッチガチな体幹、強靭な下半身、Tシャツがめちゃくちゃ似合う胸板、そしてかなり発達した僧帽筋(ソウボウキン、首から肩にかけての筋肉)があるからこそ見た目以上に重くなるのだ。 ここで最初の男のロマンを思い出してほしい。 私の体脂肪率は大体16%、重さに換算すると約15kgだ。腹筋を割るには(正確には埋もれている腹筋を掘り出すには。ちなみに結構有名な話なので皆知っていると思うが、腹筋は元々割れているものである。)個人の筋肉量によって異なるが、体脂肪を8~10%あたりまで絞らなくてはならないらしい。 となると脂肪の重さを15kgから9kgまで、つまり6kgの減量だ。だがしかし体重は固定しなくてはならないので筋肉を6kg分増やすことになる。この難しさがわからない人は「ライル・マクドナルドモデル」と調べてみてほしい。簡単に、自分なりにまとめると、一年間しっかり栄養バランスと筋トレをしてもつけられる筋肉量には限度があるということだ。言い訳にはならないが、学業が本業である学生にとってこれは至難の業だ。それに自分で言うのは恐縮だが、私が通っている大学は課題の多さでも有名だ。...

レシピ英訳事業計画

知的財産権というものがある。その中に著作権というものがある。人の著作物を勝手にパクったりするとその人の著作権を害することになるので、いけない。 さてさて、 このウェブ記事 によると料理レシピには著作権がないらしい。なので多くの人が本やウェブサイトで見つけたレシピを自分のブログなどに載せているらしい。お咎めなしで。 ビジネスの匂いがする。 例えば我々が日の本の様々の料理レシピを英訳しブログであまねく天下に宣布せしめれば、世界中の菜食主義者や和食愛好家が大いに利するに相違ない。 そして我々にも広告料がざっくざく。電子書籍も発行すれば印税もざっくざく。そのうちYouTubeでも料理チャンネルをやって、やはりざっくざく。 素晴らしい。

時間という名の錯覚

大学生になってからまだ二週間ほどしか経っていないが、もう二ヵ月ほど経っているような気分である。 この記事を書き始めてからまだ一分ほどしか経っていないが、もう一時間ほど経っているような調子である。 高校を卒業してからもう一ヵ月ほど経ったが、まだ一日しか経っていないような所存である。 課題を始めてからもう四時間ほど経ったが... ん?こんな「時間」に私は一体何をしているのだ。 そうだ、私は時間稼ぎをしているのだ。 自分の時間を使って明日提出の課題に取り組み、休憩として貴重な時間を浪費しながら記事を書き、自分の首を絞めているのに「時間稼ぎ」だなんておかしな話だ。 時間そのものに価値はない。ただし、価値がない時間はない。 さあ、これくらい時間を「稼げ」ば、時間に価値を持たせられなかった自分の愚かさに気が付くだろう。 そろそろ課題に戻ることとしよう。

網棚の恐ろしさ

電車の中の網棚を誰もが一度は使用したことがあるはずだ。普段は重い荷物を置くため棚となって非常に便利でありがたいものだ。しかし油断をしていると隠しナイフのような恐ろしさを感じさせることがある。丁度先週、この恐ろしさを身をもって体験した。 大学に入ってから三度目となる電車の網棚の上で置き忘れをしてしまった。過去に置き忘れを二度したことがあることから普段は荷物が多くても網棚には載せないように心掛けていた。しかし、あの日に限って寝袋という大きな荷物を抱えていたこと、45分の長距離移動をすることに加えて、最近忘れ物をしてないという甘い油断が重なって事故が起きてしまた。ちなみに寝袋は学校の徹夜を快適にするために家から持ち出した物だ。 電車を降りて駅の階段を登り終えて、ふと気がついた。しかし時は既に遅し、駆け戻ったがドワが自分を拒むかのように閉まる。絶望する(泣)。すぐに駅員さんに言い、二駅先の駅で確認してもらった。そして、さらなる絶望(泣泣)。乗っていた車両番号を誤解していたせいで見つからず、時間もセッパ詰まっていたことからその場は諦める。後ほど終着駅で確認された。 最寄りの駅から往復五時間。悲しすぎて笑うしかできなかった 二度あることは三度あるとはまさにこのことだ。信じられるだろうか、四度網棚を利用して三度忘れる。自分のマヌケさにはうんざりだ。もう二度とあんな所に荷物なんか置くもんかと、やっと気がつく自分でした。

鶏肉のソテー、一部生焼け

本日の夜ご飯は鶏肉のソテーをつくりました。まず皮の方を下にしてカリッカリに焼きました。その後ひっくり返してじっくりと焼き上げました。 一つ食べてみる。美味しい。二つ目を食べてみる。これも美味しい。そのまま順調に三つ四つ食べて五つ目にかぶりついた頃でしょうか。カリッとした皮の下にむにゅっとした食感がありました。 出して見てみると、少しピンクっぽい白。それは捨てました。しかし、それはほんの一部でした。というのも、残りの大部分を既に飲み込んだあとであったからです。 つまり、半生の鶏肉を食した可能性が極めて高いのです。 食中毒の予防的応急措置としてわさびを摂取することも考えましたが、牛乳を飲むだけにとどめました。 やはり、お腹が空いたからといって料理中にせっかちになってはいけないですね。

祝!もったいないトーク開設

 さてさてついに我々のブログが完成した。2014年に惜しくも勝手に自主倒産した複合型エンターテイメント会社ダークスマイル社の創設者である三人が手掛けるこのブログ。その名はいずれ世界に知れ渡り、人々を魅了してやまないであろう。まずは手始めにブックマークユーザー10人を目指そう。